3.櫛田神社(くしだじんじゃ)

2012年7月1日、地下鉄空港線の中洲川端駅でおりて、商店街を通り抜け櫛田神社へ。もうすぐ追い山、その準備が進められており、観客席も既に組みあがっていました。
2014年2月15日、関東で大雪が降った日に参拝してきました。夕方の参拝で時間がなく御朱印はいただけませんでしたが、写真を大幅アップしました。
2014年3月23日、福岡単身赴任最後の日に参拝、御朱印を頂いて帰ってきました。
2015年8月5日(水)、福岡出張の際参拝しました。御朱印帳を購入しようかと思いましたが、朝早く社務所が開いておらず、断念。拝殿内の写真を追加しました。
2016年11月29日(火)福岡出張、仕事が早く終わったので参拝、前回購入できなかった御朱印帳を購入しました。
創 建
社伝では、天平宝字元年(757年)、松阪にあった櫛田神社を勧請したのに始まるとされるが、平安時代末期、平清盛が所領の肥前国神埼(佐賀県神埼市)の櫛田宮を、日宋貿易の拠点とした博多に勧請したという説が最有力。
由 緒(Wikipediaより)
社伝では、天平宝字元年(757年)、松阪にあった櫛田神社を勧請したのに始まるとされ、松坂の櫛田神社の祭神の大幡主大神が天照大神に仕える一族の神であったことから、天照皇大神も一緒に勧請されたと伝えられる。天慶4年(941年)、小野好古が藤原純友の乱を鎮めるために京都の八坂神社に祈願し、平定した後に当社に素盞嗚神を勧請したと伝えられるが、平安時代末期、平清盛が所領の肥前国 神埼(佐賀県神埼市)の櫛田宮を、日宋貿易の拠点とした博多に勧請したという説が最有力であり、櫛田神社の宮司らが編纂し1965年(昭和40年)に文部省(当時)に提出した『博多山笠記録』や1979年(昭和54年)に福岡市が発行した『福岡の歴史』でも佐賀県神埼市にある櫛田宮の分社とされている。戦国時代に荒廃したが、1587年(天正15年)、豊臣秀吉によって博多が復興されるときに現在の社殿が造営された。
御祭神
大幡主大神(櫛田大神)、天照皇大神、素盞嗚大神(祇園大神)






























