267.仲宿八幡宮(なかやどはちまんぐう)

北九州方面神社めぐり、八幡東区に御朱印を頂けそうな神社があることが判明、参拝することにしました。以前、帆柱稲荷神社を参拝した時にすぐそばを通っていました。北九州国際大学のそばに鎮座しています。拝殿、本殿は朱色で鮮やかです。境内には、多くの境内社があり、それぞれに説明の立札が立っていました。珍しかったのは、御影石でできた、「恋占い石」、占ってはみませんでしたが。御朱印は、拝殿横の社務所でいただきました。
創建/由緒(看板より)
今を去る事一八〇〇年余の往昔、第十四代仲哀天皇の御后、神功皇后は筑紫の香椎の宮でお幽れなされし天皇の御代りに、皇子(後の応神天皇)を御腹にみごもられ乍らも軍臣の動揺を考えられ、天皇崩御の御事を秘匿し、男装をして三軍を率いて九州騒乱の源、新羅征伐に出征せられたり、この間北九州を中心に動き給い、苦節の末三韓を従え給ふ。
ここに神告ありて「三韓を従えども行先謀反の者あり、厚く慎み給へ」と。然るに現当宮の地に中やとりし給いて豊山の宮を造らしめ給い、皇后御自から仲宿(なかやど)にて忌み慎しみ斎籠し給いて、豊山の宮共々に皇祖の神の御教のまゝに天神地祇を祭り給う。事無く皇后大和に御帰還の後、この仲宿の地の祭祀を行い奉りし祭場に、村人等祠を建立し、産土神(うじがみ)とし奉り、幾度となく社を増改築、殊に大内氏、麻生氏、近世に至りては黒田氏の崇敬篤く今日に至り、現社殿は昭和三十六年に御改築す。
御祭神
本座
足中津日古命(たらしなかつひこのみこと)仲哀天皇
品陀和氣尊 (ほむだわけのみこと)応神天皇
息長足比賣命 (おきながたらしひめのみこと)神功皇后
相座
建速須佐之男命(たちはやすさのおのみこと)
奇名田比売命(くしなだひめのみこと)
御神徳
目標達成、武運長久、勝運、厄除け、家内安全、開運、安産、子育て、悪疫退散、商売繁盛







ここは、境内社などすべてに説明の立て看板が付随していました。製鉄所建設に伴い、こちらに遷座されたものが多いようです。























目をつぶってこの石を手すりのようにして歩き、端まで行ったらさらに三歩進み、先にある三つの玉のどれかをつかみます。玉をつかむまで目をあけてはいけません。


つかんだ石によって運勢が決まります。


