195.風治八幡宮(ふうちはちまんぐう)

福岡県田川市魚町2-30
飯塚・直方・田川方面神社めぐり、4社めは風治八幡宮。直方駅からとてもローカルな平成筑豊鉄道で田川伊田駅へ。駅から5,6分のところに鎮座していました。狛犬がならんでいたことと、拝殿の大きな注連縄が印象的でした。御朱印をいただくときに、神職の方から、「曩祖神社にも行かれたんですね、あそこはここの宮司の弟が宮司を務めているんですよ」と声を掛けられました。
創建/由緒(ホームページより抜粋)
風治八幡宮は古く伊田大神と称して海津見神を祀りし地主神にてありしが、神功皇后御征韓の砌り、筑紫より穴門(山口県下関)の豊浦に還御の折、俄かに暴風雨起りし為、社前の大石に腰を掛け給いて、親しく御佩(おはか)しの太刀を献上して天神地祇及伊田大神に祈願せしに暴風雨忽ち治まりつつがなく穴門に至り給う。降つて弘仁五年六月大旱魃により五穀悉く枯れんとせしに、郡司、伝教大師をして伊田大神に祈念せしめ潤雨ありて五穀豊穣す。
弘仁八年、伊田宮山の地に社殿を造営し、霊験あらたかな奇瑞を後世に伝えるため、風の一字を加えて風宮とし、蓮台寺・長松寿院の両院を開いて神宮寺となす。
元和元年國主細川公、手永制度を定め(上赤、下赤、山浦、大内田、小内田、上今任、下今任、桑原、秋永、安永、伊加利、上伊田、中伊田、下伊田、十四か村を伊田手永と称す)当社を伊田手永大社と定め崇敬厚く、降つて元禄元年國主小笠原公 聖后御凱旋の神徳にちなみて風治の字を贈りて風治八幡宮と改称し今日に至る。五穀豊穣、殖産工業、厄除開運、交通安全守護神として崇敬篤く参拝者のたゆる事なし。
御祭神
應神天皇(おうじんてんのう)
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
神功皇后(じんぐうこうごう)
海津見神(わたつみのかみ)
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
御神徳
家内安全、良縁成就、病気平癒、商売繁昌、事業繁栄、交通安全、学業成就、五穀豊穣、殖産工業、厄除開運











