90.天疫神社(てんえきじんじゃ)

福岡県北九州市八幡東区宮の町2-2-1
北九州神社めぐり、八幡・戸畑・若松編 7社めは天疫神社です。高見神社から歩いて向かったのですが、道に迷ってしまいうろうろしてしまいました。一の鳥居から公園を抜けて薄暗い階段を登ると、宮司さんの住まいらしき家を右に見て二の鳥居の先に鎮座していました。鳥居の先に、子供の伸長を測るためなのでしょうか、メモリの付いた「よろこびの石」なるものが立っていました。2mまでメモリがあるから、子供だけではなさそうです。社務所は住まいと兼用で、秋田犬のような人なつっこい犬がつながれていました。対応してくれた宮司さんも比較的若く、お子さんと一緒におられとても親切な方でした。ここは御朱印代は受け取りませんでした。
創建/由緒(看板より)
醍醐天皇の御代(西暦九〇〇年頃)疫病がこの里を襲った。里人たちがこの高杯山頂で疫病がおさまるよう祈ったところ、不思議にも疫病は鎮まった。それからこの地には社が建てられ、人々の篤い信仰をうけるようになった。寛永年中(西暦一六二四年)小笠原候の入国後、この古社の御神徳が大きいため、社殿を改築し崇敬した。社紋に三蓋菱を用いるのはそのためである。
御祭神
稲田媛命(いなだひめのみこと)
須佐之男命(すさのおのみこと)
大穴牟遲命(おおむなちのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
事八十神(ことやしがみ)
彌都波能売命(みつはのめのみこと)
御神徳
疫病退散、厄除け、家内安全、商売繁盛









昔は「高槻疫神社」の社名だったそうです。
