73.赤間神宮(あかまじんぐう)

山口県下関市阿弥陀寺町4-1
北九州市神社めぐり3社めは赤間神宮、予定になかったのですが、関門海峡の名所案内に記載されていたので、急遽参拝することにしました。壇ノ浦で入水した安徳天皇の墓所があり、御祭神も安徳天皇です。また、平家一門の墓、平家物語を語った耳なし芳一の像もありました。
創建/由緒(ホームページより抜粋要約)
寿永4年(1185年)3月24日、源平最後の合戦である壇ノ浦の戦いがこの海峡で行われました。奮戦空しく栄華を誇った平家も遂に敗北し、二位尼時子は幼い帝をお抱きになり、「波の下にも都の候」と申し上げ、水の中へと入っていかれました。
御歳わずか八歳で入水崩御された第八十一代安徳天皇をお慰めするため、朝廷は建久2年長門の国にその霊廟を建てるよう勅を発令して、御陵上に御影堂を建立。これを命阿尼に守らせ、尼3代を経て住職に転じ、阿弥陀寺と号し浄土宗を経て真言宗の寺院となりました。
明治維新後の神仏判然令によって、阿弥陀寺は廃され、天皇社と称し、明治8年(1875)10月7日赤間宮が創建され、昭和15年、赤間神宮と改称、社殿も整えられた。
昭和20年7月、大戦の戦禍で本殿以下全て焼失。
戦後復興は困難を極め、まず本殿・祝詞殿を建立、昭和33年「水天門」が竣工、同40年拝殿・回廊の竣工により龍宮造りの社殿が完成。同60年に御祭神八百年式年大祭を迎えた。
御祭神
第八十一代 安徳天皇(あんとくてんのう)
御神徳
家内安全、商売繁盛、海上安全、交通安全(車祓い)、安産、初宮、七五三、厄除け、病気平癒、年祝い





