67.高麗神社(こまじんじゃ)

埼玉県日高市新堀833

 埼玉の自宅から参拝に行きました。1月も13日なので、もう初詣の参拝者はいないだろうと思って出かけたのですが、予想に反してたくさんの参拝客が行列をつくり、参拝に30分も並びました。出店も出ており、帰りに焼きそばを買って帰りました。

高麗神社公式ホームページ

創建/由緒(ホームページより抜粋要約)
 天智天皇5年(666年)、連合した唐と新羅が、高句麗の征討を開始し、高句麗は外交使節団を大和朝廷へと派遣。若光が使節団の一員として日本へ渡来。668年高句麗は滅亡。若光は二度と故国の土を踏むことはなかった。
その後、若光は大和朝廷に官人として仕え、大宝3年(703年)3月王の姓を賜わる。王(こきし)の姓から外国の王族の出身であったことがうかがえる。
霊亀2年(716年)5月16日、大和朝廷は駿河(静岡)/甲斐(山梨)/相模(神奈川)/上総・下総(千葉)/常陸(茨城)/下野(栃木)の七国から高句麗人1799人を武蔵国に移し「高麗郡」を創設。この時、若光は郡の長官に任命される。若光は郡内の高麗人をよく指揮し、未開の地を開発し、この地で波瀾の生涯を終える。郡民はその徳を偲び、その霊を祀り、高麗郡の守護神とした。若光の子孫である高麗氏は、1300年・60代に渡り家系血脈が続いており、代々祭祀を司ってきた。

御祭神
 高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)
 猿田彦命(さるたひこのみこと)
 武内宿祢命(たけのうちのすくねのみこと)

御神徳
 出世開運・事業繁栄・子孫繁栄・延命長寿

2013.1.13
参道入り口
一の鳥居
二の鳥居
参道は参拝客の行列ができていました。
20分で神門前まで来ました。
ようやく拝殿前まで来ました。参拝に30分かかりました。
神門の扁額
小さく「句」の字が書かれています。