284.長浜神社(ながはまじんじゃ)

島根県出雲市西園町上長浜4258

 出雲方面神社巡り2日め、3社めの参拝は長浜神社です。日御碕神社から戻ってきたところで、反対車線に出雲大社へ向かう車の渋滞が発生していました。ほとんどが県外ナンバーです。長浜神社は稲佐の浜の南に2、3kmのところに鎮座しています。小高い山の上に鎮座しており、ふもとの参道から歩くと結構な距離でした。ちょうど今日と明日が例大祭ということで、境内には出店が準備しており、関係者が集まり始めたところでした。長浜神社は、国引き神話と妙見伝説のお宮だそうで、御朱印にある北斗七星は妙見伝説の象徴です。

長浜神社公式ホームページ

創建/由緒(ホームページより)
 和銅三年(710年)の年号及びそれ以前の記述の古文書はあるが、明確な創立年代は不詳。
社格は元県社、島根県神社庁特別神社。
上代は「出雲社」・「出雲神社」、中近世は「妙見社(大社・大明神)」、明治以降より「長浜神社」と呼ばれ、信仰されている。
 勝利を引き寄せる国引き神話のふるさと「長浜神社」。豊臣秀吉の唐入り(朝鮮出兵)の折「加藤清正・片桐且元」と名のある武将の参拝があり、その折の「弓掛(ゆみかけ)の松」が境内にある。緒戦の連戦連勝に太閤いたく喜び、桐の神紋をはじめ恩賞を授かっている。この頃から「武道・スポーツ上達の守り神」のみならず「勝負に勝つ神」として広く信仰を集めるようになった…

御祭神
 八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)

御神徳
 武道・スポーツ上達の守り神、勝負に勝つ神

「国引き神話」(読み下し文)

 八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)は「八雲立つ出雲の国は、少し小さく作ってしまった。作り足そう。」とおっしゃいました。最初に神は「朝鮮半島に余った土地があった。」と見つけて、鋭い鉏で魚のエラを一刀両断にたつように切り取り、三本綯いの太い綱を結び「国来い、国来い。」と掛け声をかけながら、ゆっくりゆっくりと引き寄せて縫い合わせて行かれました。そうしてできた土地は、去豆の地溝帯から西の杵築の岬です。杭は出雲国と石見国の境にある三瓶山で、綱は薗の長浜(長浜神社のある海岸線)です。
 次に「北方の佐伎の国に余った土地があった。」と見つけて、鋭い鉏で魚のエラを一刀両断にたつように切り取り、三本綯いの太い綱を結び「国来い、国来い。」と掛け声をかけながら、ゆっくりゆっくりと引き寄せて縫い合わせて行かれました。そうしてできた土地は、多久の地溝帯から西の狭田の国です。
 次に「北方の良波の国に余った土地があった。」と見つけて、鋭い鉏で魚のエラを一刀両断にたつように切り取り、三本綯いの太い綱を結び「国来い、国来い。」と掛け声をかけながら、ゆっくりゆっくりと引き寄せて縫い合わせて行かれました。そうしてできた土地は、宇波の地溝帯より西の闇見の国です。
 最後に「北陸の能登半島の珠洲の岬に余った土地があった。」と見つけて、鋭い鉏で魚のエラを一刀両断にたつように切り取り、三本綯いの太い綱を結び「国来い、国来い。」と掛け声をかけながら、ゆっくりゆっくりと引き寄せて縫い合わせて行かれました。そうしてできた土地は、美保関です。綱は弓ヶ浜で、杭は伯耆国にある大山です。
 こうして4回に及ぶ国土拡張で出雲の国は住みよい大きな国になりました。八束水臣津野命は、「おゑ」と国引き終了宣言をされ、意宇の杜に杖を衝き立てられました。
※意宇は、奈良時代に出雲国の国庁があった重要地で、現在の松江市の大庭地区のあたりです。

2013.10.13
小高い丘の麓、参道入り口です。
参道途中の鳥居
参道途中の坂下荒神社
参道からの随神門
境内入り口の随神門
随神門をくぐったの先の狛犬さん(左)
随神門をくぐったの先の狛犬さん(右)
拝殿、斜めから
拝殿の注連縄
大社造りの本殿
境内からの社殿
春日神社
天神社
稲荷社
珍しい三社鳥居
納社
夫婦石
岐(くなど)神社(道祖神)
弓掛けの松

豊臣秀吉の朝鮮出兵の折、100日祈願をした。その恩賞を持ってきた片桐且元が弓を立てかけた松、だそうです。

由緒書です。