279.八重垣神社(やえがきじんじゃ)

島根県松江市佐草町227

 出雲方面神社巡り、6社めは意宇六社のひとつである八重垣神社です。ここも八岐大蛇(やまたのおろち)退治で名高い素盞嗚尊(すさのをのみこと)と、稲田姫命(いなたひめのみこと)の御夫婦が主祭神で、縁結びの神様として有名です。多くの参拝者で、駐車場に入るにもずいぶん待たされました。境内も沢山の参拝客でごった返しており、裏にある鏡池では半紙にお金を載せて沈むまでの時間で恋愛運を占うという占いに沢山の女性参拝客が、半紙を浮かべていました。

八重垣神社公式ホームページ

創建/由緒
(ホームページより)
 高天原から出雲の斐の川上に降り立った素盞嗚尊は、老夫婦(脚摩乳、手摩乳)と稲田姫が泣いている様を御覧になられ、八岐大蛇を退治し、稲田姫の命を御救いになったのです。
この時、素盞嗚尊は、斐の川上から七里離れた佐草の郷"佐久佐女の森(奥の院)"に、大杉を中心に『八重垣』を造り、稲田姫を御隠しになりました。八岐大蛇を御退治になった素盞嗚尊は、ご両親の脚摩乳、手摩乳の御許しを得て夫婦となり、この佐草の地に宮造りされ、御夫婦の宮居とし縁結びの道をおひらきになられたのです。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻込めに 八重垣造る その八重垣を」
という妻をめとった喜びの御歌から、『八重垣の宮』となりました。
"天つ神"素盞嗚尊と"地つ神"稲田姫命の御二柱は、この地で結ばれた出雲の縁結びの大親神様で在らせられます。この御二柱を主祭神とした八重垣神社は、古来より朝廷、国司、藩主の崇敬が厚く、御神徳高い神の国出雲の古社・名社として位置づけられております。

(Wikipediaより)
 社伝によれば、素盞嗚尊が八岐大蛇を退治した後、「八雲立つ出雲八重垣妻込みに八重垣造る其の八重垣を」と詠んで櫛稲田姫との住居を構えたという須賀(現在の雲南市大東町須賀)の地(須我神社)に創建され、後に青幡佐久佐日古命が祀られる佐久佐神社の境内に遷座したという。佐久佐神社という名前は延喜式神名帳に記載されているが、式内・佐久佐神社は当社の他、同市大草町の六所神社も論社となっている。元慶2年(878年)に正五位上の神階を授かった。佐草氏が神職として奉仕し、近世には八重垣大明神と称された。
明治5年(1872年)、八重垣神社は境内佐久佐神社を合祀して佐久佐神社を称し郷社に列格し、明治9年(1876年)に県社に昇格した。明治11年(1878年)に八重垣神社に改称した。昭和56年(1981年)に神社本庁の別表神社に加列された

主祭神
 素盞嗚尊(すさのおのみこと)
 稲田姫命(いなだひめのみこと)

配祀神
 大己貴命(おおなむちのみこと/大国主命)
 青幡佐久佐日古命(あおはたさくさひこのみこと)

御神徳
 良縁成就、安産・子宝、病気平癒、家内安全、身体健康、厄除、商売繁盛、開運招福、心願成就、夫婦円満、交通安全 など

2013.10.12
境内入り口の鳥居、木製です。
門、たくさんの参拝客です。
随神門からの拝殿

随神門の先は何やら工事中でした。

拝殿前の狛犬さん(左)
拝殿前の狛犬さん(右)

少し痛んでました。

拝殿、右から
拝殿、左から
本殿です。
鏡の池で占いをする人たち
たくさんの紙が沈んでいるのが分かります。
池の反対側からです。
落とし物をする人が多いようです。
参拝脚がいないとこんな感じです。
ホームページよりコピーさせていただきました。
鏡の池のさきにある天鏡神社、稲田姫命を祀っています。
社 山神神社

 八重垣神社の末社、山神神社は「山の神さん」と親しまれ、以前は佐草の里西側の山中、金起の旧街道沿いに祀られてあったものを明治頃に八重垣神社の境内に遷された御社です。
 山・農耕の守護神、夫婦和合を始め、昔より安産・授児子宝及び下半身の病に霊験あらたかとして地元はもちろん、遠方より祈願や御礼に参拝され、手作りの男根等を供える風習は現在でも続いています。
 平成十六年の夏に老朽化した御社を新築し八月一日に祭典を斎行しています。
(ホームページより)

貴布禰神社
手摩乳神社:稲田姫命の母親
伊勢宮
脚摩乳神社:稲田姫命の父親
夫婦椿(乙女椿)
夫婦椿(子宝椿)
木の洞の中に男根が治められていました。
由緒記の看板です、見づらいですが
小泉八雲ゆかりの神社です。