277.熊野大社(くまのたいしゃ)

出雲方面神社巡り、4社めは、意宇六社のひとつである熊野大社です。出雲国一之宮で、火の発祥の神社とも言われ、出雲大社よりも社格は高く、歴史も古いようです。今では逆転してしまっていますが。なぜ出雲に熊野大社なのか、熊野大社と言えば紀伊ですが、こちらが元宮との説もあるようです。現在でも大社造りの本殿など荘厳な神社ではありますが、かつては今以上に荘厳であったようです。
創 建
日本書紀(720年)に、659年に出雲国造が斉明天皇の勅で厳神の宮を造営した、と記す。
由 緒
(ホームページより)
『出雲國風土記』(733)に熊野大社、『延喜式神名帳』(927)に熊野坐神社と見え、日本火出初神社とも称され、古来杵築大社(出雲大社)と並びて出雲の國の大社と遇された。上古朝廷の御尊崇極めて篤く、仁壽元年(851)特に従三位を、貞観9年(867)正二位の神階を奉らせ給い、且つ殖産興業・招福縁結・厄除の大神として衆庶の信仰が深い。明治4年國幣中社、大正5年國幣大社に進列された。特に出雲大社宮司の襲職は当社から燧臼燧杵の神器を拝戴する事によって初まるのが古来からの慣で今も奉仕されている。
(Wikipediaより)
火の発祥の神社として「日本火出初之社」(ひのもとひでぞめのやしろ)とも呼ばれ、出雲大社と共に出雲国一宮である。出雲国造本来の奉斎社であり、意宇六社の一つに数えられている。紀伊国の熊野三山(熊野国造奉斎社)も有名だが、熊野大社から紀伊国に勧請されたという説と、全くの別系統とする説がある。社伝では熊野村の住人が紀伊国に移住したときに分霊を勧請したのが熊野本宮大社の元であるとしている。 和歌山県御坊市の熊野神社の伝記には「往古出雲民族が紀伊に植民する際にその祖神の分霊を出雲の熊野より紀伊の新熊野に勧請する途中、「当地に熊野神が一時留まりませる」ということが社由緒」となっている。
御祭神
伊邪那伎日真名子(いざなぎのひまなご)
加夫呂伎熊野大神(かぶろぎくまのおおかみ)
櫛御気野命(くしにけぬのみこと)=素戔嗚尊
御神徳
五穀豊穣、縁結び、金運、厄除け、恋愛成就 など









出雲地方には尻上げポーズの狛犬さんがたくさんです。





















