274.美保神社(みほじんじゃ)

島根県松江市美保関町美保関608

 出雲方面神社巡り、最初の参拝は美保神社です。松江に宿を取り、レンタカーで出雲大社から参拝しようと計画していましたが、松江駅に着いたのが11時頃だったこともあり、出雲大社へは明日の朝早く参拝することにして、まずは、東の外れの美保神社から参拝することにしました。美保神社は小さな港町に鎮座していますが、社殿は立派なもので、大きな拝殿の奥に、二棟並んだ大社造りの本殿があり、「美保造り」と言われているそうです。本殿左側が大国主神の息子である事代主神、いわゆるえびす様、右側がその妻三穂津姫の命を祀っています。拝殿の大きさ、社殿の迫力、何ともいえない威圧感があります。社務所で御朱印帳を購入、意外とシンプルでした。

美保神社公式ホームページ

創 建
 天平5年(733)編纂の『出雲国風土記』及び延長5年(927)成立の『延喜式』に社名が記されており、遅くともその時期には「社」が存在していたことがわかります。境内地からは4世紀頃の勾玉の破片や、雨乞いなどの宗教儀式で捧げたと考えられる6世紀後半頃の土馬が出土しており、古墳時代以前にも何らかの祭祀がこの地で行われていたことがうかがえます。

由 緒
《えびす様の総本宮》
 全国各地にある事代主神を祠る「えびす社」3,385社の総本宮として、北は北海道から南は沖縄まで特に水産・海運・商業に携わる人々から広く信仰されてきました。えびす様は右手に釣り竿を持ち、左脇に鯛を抱える御姿で親しまれています。魚釣りを好まれ、「漁業の祖神」として崇敬されてきたのは、事代主神が美保の地(沖ノ御前・地ノ御前と云われ美保神社の飛地境内)において日本の文献上、最初に魚釣りをされたことが所以です。
《事代主神と国譲り》
 天孫降臨に先立ち高天原の神は、大国主神がお治めになっている「この出雲の国は天孫が治めるべき国である」として使者を遣わされます。大国主神はこれに対し、「私の一存では決められない。」と、自分の使者を熊野諸手船に乗せて御子神の事代主神の元へ遣わしになります。美保の地で釣りをなさっていた事代主神は直ちに、「この国は天孫に献上すべきである。」とお答えになり、海中に青柴垣を造ると、天逆手(あめのむかえで)(手を打って約束する、手締めの起原)を打って、その中に身をお隠しになられました。この和譲の精神による国譲りによって、その後の天孫降臨・神武東遷が成り、今日の日本国家が成立していきます。
この国譲り神話を再現、儀礼化したのが12月3日の諸手船神事、4月7日の青柴垣神事です。

御祭神
 事代主神(ことしろぬしのかみ:えびす様)
 美穂津姫命(みほつひめのみこと)
 

御神徳
 海上安全、大漁満足、商売繁盛、学業・歌舞音曲、五穀豊穣、夫婦和合、安産、子孫繁栄

2013.10.12
参道入り口のの鳥居
社号のある二の鳥居
二の鳥居の先の狛犬さん(左)
二の鳥居の先の狛犬さん(左)

意外と大きく、古いせいか顔が崩れてしまっています。

参道の階段
神門前の参道
大きな注連縄の掛かった神門
非常に大きな拝殿
拝殿 左から
拝殿前の陶器の狛犬さん(左)
拝殿前の陶器の狛犬さん(右)
本殿左側 事代主神が祀られています。
本殿右側 三穂津姫命が祀られています。
境内社(宮御前社/宮荒神社/船霊社/稲荷社)
境内社の狛犬さん(左)
境内社の狛犬さん(右)
境内社の横にある御霊石(おたまいし)
大きな丸い石です。

《 御霊石(おたまいし)》
かつて地元漁師が漁をしていると、偶然まん丸い2つの石が海中(地之御前付近)から採れ、珍しいと奉納されました。文化の造営(1813)の際、夢のお告げがあり1つは海へお返ししたと古書にあります。
丸い石を触るとお腹の子が健康に育つ、という「安産信仰」から多くの妊婦が撫でた為、御霊石の上部はすり減っています。
(ホームページより)

右手参道入り口の狛犬さん(左)
右手参道入り口の狛犬さん(右)

出雲地方には、このような尻上げポーズの狛犬さんが多いようです。

参道入り口の右手にありました。
なんと読むのでしょうか?