270.神武天皇社(じんむてんのうしゃ)

福岡県遠賀郡芦屋町正門町14

 福岡北部方面、駅から離れた神社を中心にレンタカーでの神社めぐり、3社めは神武天皇社です。岡湊神社で神武天皇社の御朱印を頂もき、参拝することに。岡湊神社から車で5分ほど、航空自衛隊芦屋基地のすぐそばで、大きなレーダーのアンテナがくるくる回っていました。神武天皇が東征の際に、一年間ほど立ち寄り陣を置いたと焼けてしまったそうですが焼けてしまったそうですが、とても敷地が広く、かつては大きな社殿が建っていたのではないかと想像されます。

創 建
 不 詳

由 緒(パンフレット由緒書より)
 神武天皇は西諸県郡高原町狭野の地に於てお生まれになられ、御幼名を狭野命と申し上げ、其の後神日本磐余彦命と申し上げました。天皇は御幼少より御気性の強いお賢い御方で、十五歳の御時皇太子になられ、宮崎に定められて高千穂宮と称しここで正しい道を養われ民を慈愛されだんだん勢力を拡充されました。四十五才の御時、国の中央に都を遷し、天業を恢弘せんとして、皇兄群臣と共に宮崎の地を御出発になり、御東遷の途に上がられました。それは紀元前七年の十月五日であります。日向市美々津より御舟出遊ばされ、宇佐ー崗水門(芦屋の古称…芦屋に一年余り滞在され、その場所が岡田の宮である。)ー埃宮ー高嶋ー浪速ー生駒山を経て大和に入ろうとされましたが、賊酋は天皇の軍を遮り皇兄五瀬命は戦傷せられ戦い不利となりましたので、海路熊野に上陸して大和に入ろうとされました。途中暴風の為、皇兄三毛沼命と稲飯命の御遭難あり、又熊野の道も嶮しく数々の苦戦の後賊を平らげ大和地方を平定された後、畝傍橿原の地にて第一代の天皇の御位に御即き遊ばされ、我建国の基を建てられました。
※神武天皇社は戦時中に米軍の爆撃により社殿が焼失し戦後もそのままとなっていたが、伊勢神宮より御用材を拝戴し、平成十二年に竣工式を行うに至った。

御祭神
 神武天皇(じんむてんのう)
 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
 神功皇后(じんぐうこうごう)

御神徳
 国家安寧、開運・招福、健康・延寿

2013.10.5
入り口には燈籠がありました。
参道入り口の鳥居
拝殿までの参道
参道途中にあった手水鉢
拝殿前の参道
拝殿前の狛犬さん(左)
拝殿前の狛犬さん(右)
拝殿です。
社殿の様子
本殿です。
本殿の屋根
空襲で焼失し、平成12年(2000年)に再建されました。