269.岡湊神社(おかみなとじんじゃ)

福岡県遠賀郡芦屋町船頭町12-48

 福岡北部方面、駅から離れた神社を中心にレンタカーでの神社めぐり、2社めは岡湊神社です。雨上がりで増水した遠賀川の土手の道路を北へ走った先に鎮座していました。境内は広々としており落ち着きのある神社です。「なんじゃもんじゃの木」が有名のようです。日本書紀に出てくるたいへん古い神社で、主祭神は、大倉主命(おおくらぬしのみこと)と莵夫羅媛命(つぶらひめのみこと)、その後素戔嗚尊を配祀し、さらに神武天皇社も合祀したそうです。境内から道を挟んだ先に社務所があり、そこで御朱印を頂きました。御朱印を対応してくださった宮司さんが、神武天皇社の御朱印も書いて下さいました。

岡湊神社公式インスタグラム

創 建
 不 詳

由 緒(パンフレット:由緒書より)
 岡湊神社は、「(日本書記)巻第八人皇第十四代仲哀天皇条(西暦199年)」に記されている「崗の浦(おかのうら:芦屋の古称)」の「大倉主命(おおおくらぬしのみこと)・菟夫羅媛命(つぶらひめのみこと)」の二柱を主祭神としている。
古来、「大倉社」とも称していたが、後に素戔嗚尊を配祀するようになり、「祇園大倉社」又は「祇園宮寺」単に「祇園社」と称するに至った。
往古は神領・神宝も多かったが、天正十四年(1586)薩摩の島津義弘軍が筑前に侵入、大友義鎮軍と交戦した際に戦禍を被り、社殿・社宝等はことごとく焼失した。翌十五年豊臣秀吉の九州平定の後は神領も没収され祭儀も衰え、三十方(社家)も糊口困難のため念仏の徒となった。
正保二年(1645)六月、神殿を再建し、延宝六年(1678)二月、筑前国主黒田光之公(三代)より社領六千坪”神の松原”を賜る。当時の代官、花房源右衛門が国主に請願し、社殿の修復、絶えていた祭儀の復興などに尽力したため漸く旧観に復した。
宝暦九年(1759)十一月、拝殿を改築、文化五年(1808)十一月にも集営した。神託によって得た翁面二個及び鈴一振りがあり、これを当社第一の宝物としている。
昭和四年(1929)三月、中ノ浜・船頭町大火災により社殿も焼失し、昔の面影を失ったが昭和九年に地元住民の強い要望により再建した。
昭和二十年(1945)六月、米軍の爆撃により社殿を焼失した神武天皇社を合祀する。
昭和五十四年(1975)仲哀天皇勅祭記念1780年祭を斎行。
平成十一年(1999)仲哀天皇勅祭記念1800年祭を斎行。
平成十二年十二月八日(2000)神武天皇社竣工祭を斎行。

主祭神
 大倉主命(おおくらぬしのみこと)
 菟夫羅媛命(つぶらひめのみこと)

配祀神
 素戔嗚尊(すさのおのみこと)
 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
 神武天皇(じんむてんのう)

御神徳
 厄除・身代わり・交通安全の神

2013.10.5
参道入り口の鳥居
一の鳥居のそばの狛犬さん(左)
一の鳥居のそばの狛犬さん(右)
参道途中の二の鳥居
二の鳥居のそばの狛犬さん(左)
二の鳥居のそばの狛犬さん(右)
拝殿手前の狛犬さん(左)
拝殿手前の狛犬さん(右)
拝殿です。
拝殿、斜めから
拝殿の扁額
本殿です。
境内社
境内社群です。