266.月瀬八幡宮(つきせはちまんぐう)

北九州方面神社めぐり、中間市での3社めは月瀬八幡宮です。猫城という出城だった小高い山の上に鎮座していました。宇佐神宮から勧請し、当初は猫八幡宮と称していたそうですが、後に宇佐神宮の境内を流れる月瀬川に因み月瀬神社と改称、その後月瀬八幡宮と呼ばれるようになったそうです。御朱印は、参道脇の住居を兼ねた見事な社務所でいただきました。若い禰宜の方が対応してくれましたが、いろいろと話しをしてくださり、先に参拝した惣社宮の宮司もつとめているとのことで、今日はこちらにいるため、惣社宮の方は留守になっていることが分かりました。ここで惣社宮の朱印が頂けないかとお願いしましたが、印がないとのことでした。
創 建
寛永15年(1638年)8月
由 緒(ホームページより)
現在、月瀬八幡宮の社殿が建つ所は、室町時代、「猫城」と呼ばれる小さな出城がありました。遠賀平野の田畑の中に丘陵(高さ20mの円錐状)の上に築かれた端城は、猫の姿にみえることから「猫城」と呼ばれていました。又一説には、かつて、この地で麻生氏と宗像氏の両軍がにらみ合い、合戦を繰り広げました。「敵が攻めてくるときは山が高くなり、城から攻め下りるときは山が低く感じるため、まるで猫が背を高くしたり低くしたりしている」と言われていたことから名付けられたともいわれています。
江戸時代になり、寛永15年(1638年)8月、筑前国2代藩主黒田忠之公が、底井野に別館(現在、底井野小学校のある所)を建てるに当たり、廃城となっておりました、猫城跡に先ず日頃崇敬するところの宇佐八幡宮の御分霊を祀ったのが月瀬八幡宮の始まりであります。
御社号は初め猫城八幡宮と称していましたが、後に宇佐八幡宮境内を流れる月瀬川にちなみ月瀬神社、その後 月瀬八幡宮と呼ばれるようになりました。
御祭神
品陀和氣命(ほんだわけのみこと)
息長足媛命(おきながたらしひめのみこと)
比咩大神(ひめのおおかみ)
御神徳
厄除け、安産、商売繁盛、病気平癒、心願成就 など


月瀬八幡宮の石碑が立っていますが、実は鳥居の先にあるこじんまりした社の恵比須宮の鳥居です。月瀬は宮の鳥居は、石碑の右側にあり、恵比須宮の鳥居の方が近いので紛らわしくなってます。


なぜか扁額が天満宮になってます。


菅原道真公を合祀しているので、牽牛さんがいらっしゃるようです。












