258.宮原三神宮(みやはらさんじんぐう)

レンタカーでの熊本県神社巡り、13社めは宮原三神宮です。御祭神は、天照皇大神、国常立尊、神武天皇の三神です。真っ白な鳥居と神門が特徴的でした。境内に併設した社務所兼住居にて御朱印を頂きましたが、入り口に幹が赤いあまり目にしたことのない木があり、何という木なのか尋ねたところ、「毘蘭樹(びらんじゅ)」という名の木で、ばくちの木とも呼ばれるそうです。
創建/由緒(Wikipediaより)
1159年(平治元年)、二条天皇の勅命により、平重盛が越中前司平盛俊に命じて社殿の造営がはじまる。1161年(応保元年)、社殿が竣工。平盛俊の弟である平盛房を社司に任じ、勅使平重盛らと共に神輿を報じて神霊を勧請し創建された。伊勢神宮内宮(天照大神)、日吉大社(国常立命)、下鴨神社(神武天皇)の3神を祀ったので三宮社と称した。1588年(天正16年)、キリシタン大名小西行長の焼討ちにより社殿が焼失した。1602年(慶長6年)、加藤清正公により復旧し、後の細川氏より手厚い保護を受ける。1661年(寛文元年)、神蔵寺をはじめ六坊が建立され、八代の妙見宮にならい宮原妙見社となる。明治維新以降、神仏分離令により、神蔵寺を廃し、社号を宮原三神宮と改称し、郷社に列した。
御祭神
天照大神(あまてらすおおかみ)
国常立神(くにのとこたちのかみ)
神武天皇(じんむてんのう)
御神徳
国家鎮護、開運招福、五穀豊穣、武運長久、家内安全、商売繁盛












毘欄樹(和名:博打の木)
「バラ科サクラ属の常緑高木。日本(本州の関東南部以西、小田原が北限)、台湾、中国、ベトナムなどの温暖な地域に自生。秋に白い小さな花を房状に咲かせ、翌年の春ごろに楕円形の果実をつける。「毘欄樹」の由来は、仏教の経典に出てくる想像上の樹木「毘欄樹」とこの木が誤認されたことによるとされる。樹皮が灰褐色から古くなると鱗片状に大きく剥がれ落ち、黄赤色の滑らかな幹肌が露出する。この様子が、まるで博打(ばくち)に負けて着物や持ち物を全て剥ぎ取られ、丸裸になった姿に似ていることから「バクチノキ」という和名がつけられた。」

当宮はもとは三宮社と称していましたが、明治維新後宮原三神宮と改称し、郷社に列せられました。平治元年(1159)9月二条天皇の勅命によって越中前司平盛俊が社殿の造営にあたり、応保元年(1161)6月16日に竣工され盛俊の弟平盛房を兵庫頭中四位に叙し社司に任じて、同年8月13日に勅使として内大臣平重盛等と共に肥後国八代郡火の村に神輿を奉じて勧請しました。天正16年(1588)に社殿のほとんどが焼失しましたが加藤清正公が再建され、寛永年間から国主細川公代々の当宮を厚く崇敬されました。以上のような由緒正しい古い宮でありまして、実に八代北部全域の守護神として崇敬され今日に及んでいます。昭和36年10月には御鎮座800年祭が盛大に斎行されました。

