251.青井阿蘇神社(あおいあそじんじゃ)

レンタカーでの熊本県神社巡り、6社めは青井阿蘇神社です。熊本インターから高速で人吉まで、トンネルが多くとても遠く感じました。青井阿蘇神社は、阿蘇12神のうち、3神を分祀し祀っている神社で、歴史は古く1200年、ということは阿蘇神社は更に歴史があるということになります。社殿はさすが国宝、楼門、拝殿とも茅葺屋根で、重厚さと歴史を感じました。
創 建
大同元年(806年)
由 緒
(ホームページより)
阿蘇の広大な原野を開拓し、その守り神として阿蘇山のふもとに鎮まる阿蘇神社の御祭神十二神のうち、三神の御分霊が、重陽の日9月9日に青井阿蘇神社に祀られたのです。
御祭神の名は、初代の天皇である神武天皇の孫にあたられる健磐龍命(たけいわたつのみこと)、その妃の阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)、お二人の子供の國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)の三柱の神々です。
この開拓の守護神である阿蘇神社の神々を祀り、ご加護を受けながら人吉球磨地方の開拓が営まれ、安住の地を整えていったのではないかと思われます。
(Wikipediaより)
大同元年(806年)9月9日に阿蘇神社の神主尾方権助大神惟基が神託により阿蘇神社から阿蘇三社の分霊を当地球磨郡青井郷に祀ったのに始まると伝える。その後天喜年中(11世紀中半)に再興され、建久9年(1198年)に領主として藤原(相良)長頼が当地へ下向した際にも再営して自家の氏神として尊崇、神領216石を寄進する等相良家歴代の篤い崇敬を受け、延徳3年(1491年)の同為続による社殿造営を始めとする数度の社殿の造営、修造が行われた。
相良氏は八代衆や球磨衆といった衆中と呼ばれる国人層を家臣団として抱え、その衆議を踏まえて領国経営を行ったが、『八代日記』に永禄元年(1558年)2月26日に制定された17箇条の法について、同23日に八代郡の八代衆が妙見宮(現八代神社)で神裁(一味神水)を行った後に条文を球磨へ送った事と、同28日には球磨衆が「春井ニ御籠」って神裁をしたことが見え、この「春井」は「青井」の誤写で当神社を指し、当神社で制定前の衆議や制定後の神裁が行われたものと思われるので、相良氏にとっての当神社が信仰の対象であるとともに家臣団を統制する存在でもあったことがわかる。
御祭神
健磐龍命(たけいわたつのみこと)
阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)
國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたまのみこと)
御神徳
子孫繁栄、五穀豊穣、厄除け開運、交通安全























1663年に神仏習合を改めるとは当時としては凄いことだったと思います。


















