250.日吉神社(ひよしじんじゃ)

レンタカーでの熊本県神社巡り、5社めは日吉神社です。レンタカーのナビが正しい入り口を示さず、すぐそばまで来ていながら迷ってしまいました。お参りをする際、たまたま宮司さんが境内に出てこられ、御朱印を頂いたのですが、私が裏の方から入って来たのを見ていたようで、私が理由を言うと「ナビが嘘つくんですよね」とのこと。私以外の参拝者もナビで迷った人がいるようです。日吉神社は、別名山王さん、お猿さんが神様の使いとして祀られています。ここには狛猿さんがありました。
創建/由緒(ホームページより抜粋)
正保元年(西暦1644年)九月十八日、近江国日吉山王宮(現滋賀県大津市比叡山鎮座山王総本宮日吉大社)の神霊を上大津椋天神(古宮飛び地境内神社 摂社菅原神社)に勧請。「肥後神祠正鑑」(弘化四年著)には「元、菅神椋木に勧請し、当所の鎮守とす。此の地東面にして馬場下は官道の駅町也。嘗て神威厳強にして、若し乗馬の者前道を通るとき忽ち落とし給ふ。故に加藤君当町上並杉植立の時神前を南面に移し給ひ、正保三年同地に上七社を建立し、彼の椋天神は付属の如くなりたり。」とある。御鎮座以来藩主の崇敬篤く、参勤交代往復の道中安全・武運長久と宿駅道中旅人の安全、大津郷中の五穀豊穣を祈る祈願所・菊池東部地域の総社として崇められる。
宝暦三年(西暦1751年)、藩の書達により藩主江戸参勤上下の節海陸安全武運長久の祈祷を命じ、永例となりて明治維新に至る。
宝暦七年(西暦1757年)三月、合志郡の大社・五穀成熟祈願所と定められ、正月五月九月には盛大且つ厳かに祭事が行われ、明治維新に至る。
明治五年(西暦1872年)郷社に列せられる。
明治四十年九月(西暦1907年)神饌幣帛料共進指定社に列す。
偶々大正十一年九月五日夜、火災に罹り神殿・幣殿・拝殿・摂社皇大神宮社等の御社殿焼失、(琴平社・参籠舎は火災を免れる)新しく社地を十文字山東嶽城祉(舞鶴城とも云う)の現在地に移して造営、昭和三年四月十八日御遷座祭を行い今日に至る。
御祭神
滋賀県大津市比叡山に鎮まる山王総本宮日吉大社の神々をを奉斎
大山咋神(おおやまくいのかみ)
大国主命(おおくにぬしのみこと)
國之常立神(くにのとこたちのかみ)
神産巣日神(かみむすびのかみ)
天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
國之狭土神(くにのさづちのかみ)
伊邪那美神(いざなみのかみ)
日子番能邇邇藝命(ひこほのににぎのみこと)
阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
御神徳
厄除け方除け鬼門除け・交通旅行安全・車入魂清祓・家内安全・商売繁盛・事業繁栄職場・安全・安産子授け・良縁結び・学業成就・試験合格・必勝開運・病気平癒手術成功・医療医薬業務安全・酒造業・農林業・畜産業・茶業・芸能












山王神猿
境内のあちこちに猿の石造が据えられ、拝殿や社務所は猿グッズでいっぱいです。神社では昔から神様のお遣いの猿を「神猿 まさる」と呼んで尊びます。「魔去る」「勝る・優る」とか「増さる」に通じる縁起の良いものと大切にされます。
猿は夫婦仲が良く親子の愛情も深い動物で、犬と同じようにお産が軽く沢山の子供に恵まれることから、夫婦円満・子授け・安産・子育てに力を添えてくれると皆に親しまれます。
(ホームページより)








