247.疋野神社(ひきのじんじゃ)

レンタカーでの熊本県神社巡り、2社めは疋野神社、由緒あるとても古い神社です。参道入り口と裏門に大きな白い鳥居がそびえ、脇の入り口にも鳥居が立っていました。社殿の裏には「長寿の泉」があり、タンクに汲んで帰る人が何人もいました。割り込んで飲まさせていただいたところ、冷たい水を想像して口に含んだのですが、暖いお湯でチョットびっくり。玉名温泉だそうです。
創 建
景行天皇築紫御巡幸の時より古いと伝えられ、2000年の歴史を持つ肥後の国の古名社です。
由 緒(ホームページより抜粋)
疋野神社は他の神社よりのご勧請の神様をお祀りした神社ではありません。大昔よりこの玉名の地に御鎮座の神社であり、この地方を古来より御守護なされてきた神様をお祀りする神社です。御祭神、「波比岐神」は日本最古の著『古事記』記載の神様であり、日本建国の場づくりをなされた神代の時代の尊い神様です。『延喜式』には、天皇御即位時の大嘗祭の八神殿に祀る神として、又祈年祭・月次祭の祝詞や、神明帳の宮中三十六座の中にもその御神号が見え、特に朝廷の御崇敬が深い神として記されています。相殿には父神様であります「大年神」がお祀りされています。大年神は、天照大御神と御姉弟であります素盞鳴尊の御子神様です。当神社は奈良平安時代、玉名地方の豪族日置氏の氏神神社として、はなやかに栄え、また鎮座地の立願寺という地名は、疋野神社の神護寺であった「立願寺」というお寺の名前が起源です。
主祭神
波比岐神(はいきのかみ)
配祀神
大年神(おおとしのかみ)
御神徳
縁結・商売繁盛・開運招福






















疋野長者伝説
~玉名地方に伝わる炭焼きの小五郎(後の疋野長者)にまつわる伝説です~
千古の昔、都に美しい姫君がおられました。
「肥後国疋野の里に住む炭焼小五郎という若者と夫婦になるように」との夢を度々みられた姫君は、供を従えはるばると小岱山の麓の疋野の里へやってこられました。
小五郎は驚き、貧しさ故に食べる物もないと断りましたが、姫君はお告げだからぜひ妻にと申され、また金貨を渡しお米を買ってきて欲しいと頼まれました。
しかたなく出かけた小五郎は、途中飛んできた白さぎに金貨を投げつけました。
傷を負った白さぎは、湯煙立ち上る谷間へ落ちて行きました。
が、暫くすると元気になって飛び去って行きました。お米を買わずに引き返した小五郎に姫君は
「あれは大切なお金というもので何でも買うことができましたのに」と残念がられました。
「あのようなものは、この山の中に沢山あります」 との返事に、よく見るとあちこち沢山の金塊が埋もれていました。
こうして、めでたく姫君と夫婦になった小五郎は、疋野長者と呼ばれて大変栄えて幸福に暮らしました。(ホームページより抜粋)



