197.英彦山神宮(ひこさんじんぐう)

福岡県田川郡添田町大字英彦山1
英彦山神宮へ参拝しました。博多から福北ゆたか線、後藤寺線、日田彦山線を乗り継ぎ彦山駅で下車、添田町営バスで英彦山神宮へ。英彦山神宮は、修験道の聖地、長~い参道の両脇には、坊と呼ばれる修験者の宿の跡が連なっていました。昔は、きっと壮観な景色であったろうと想像されます。長い参道を汗だくになって登りきると、重要文化財の大きな建物の奉幣殿が現れます。もう少し登ったところに下宮、英彦山山頂に本殿(上宮)、中腹に中宮があります。頂上の上宮まで、奉幣殿から2.2km、約1時間くらいだそうです。今回は、電車/バスの時間から下宮までの参拝にとどめました。御朱印は社務所で年配の神職の方に頂きました。大変気さくな方でした。
創建/由緒
英彦山は、古来から神の山として信仰されていた霊山で、御祭神が天照大神(伊勢神宮)の御子、天忍穂耳命であることから「日の子の山」即ち「日子山」と呼ばれていました。
嵯峨天皇の弘仁10年(819年)詔(みことのり)によって「日子」の2文字を「彦」に改められ、次いで、霊元法皇、享保14年(1729年)には、院宣により「英」の1字を賜り「英彦山(ひこさん)」と改称され現在に至ってます。
英彦山は、中世以降、神の信仰に仏教が習合され、修験道の道場「英彦山権現様」として栄えましたが、明治維新の神仏分離令により英彦山神社となり、昭和50年6月24日、天皇陛下のお許しを得て、戦後、全国第三番目の「神宮」に改称され、英彦山神宮になっています。
主祭神
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほほみみのみこと)
配 神
伊耶那岐命(いざなぎのみこと)
伊耶那美命(いざなみのみこと)
御神徳
その昔、鷹の姿をして東よりこの地に現れた稲穂の神、農業神で知られる天忍穂耳命。英彦山神宮は神様のご神徳により、農業生産、鉱山、工場の安全の守護神また、勝運の神様として古来より崇敬されています。












験道時代の霊仙寺の大講堂で、現在の建物は、元和2年(1616年)小倉藩主細川越中忠興によって再建されたものです。桃山建築様式で、以後小倉藩主によって修復されて現在国の重要文化財に指定されています。(ホームページより抜粋)









