190.三柱神社(みはしらじんじゃ)

福岡県柳川市三橋町高畑323-1

 大牟田・柳川神社めぐり、9社めの参拝は三柱神社、三柱とは、柳川藩初代藩主、立花宗茂、その妻、立花誾千代(たちばなぎんちよ)、そして誾千代の父、戸次道雪(べっきどうせつ)の3人のことだそうです。宗茂は、関ケ原の合戦で西軍につき、合戦後領地は没収され、浪人になってしまいますが、後に初代藩主として復活したのだそうです。いきさつはよくわかりませんが、当時としてはあり得ないことです。そのため、職探しをしている方の参拝が多く、お守りを購入していくのだそうです。2005年6月に放火とみられる火事により、楼門と社殿が焼失、本殿はかろうじて残ったものの、被害は甚大で、現在再建中でした。御朱印を頂いた神職の方が気さくな方で、御朱印帳を渡すと、「高千穂神社の御朱印帳ですね、私の先輩がデザインしたものなんですよ」、などと話しかけてきてくれました。ちなみに、現在の宮司は、立花家18代当主だそうです。再建を祈念いたします。

三柱神社公式ホームページ

創 建(ホームページより抜粋)
 天明3年(1783年)、七代藩主 立花鑑通公が柳川城の三の丸 長久寺境内に社を建立し、道雪公を奉祀したことが起源となります。文政3年(1820年)日吉神社近くに遷座され、「唯一宮」と称したのち、「梅岳社」に合祀した時から「三柱宮」と改称されました。

由 緒(ホームページより抜粋)
 三柱神社は、「西国一の強者」と称された百戦錬磨の武将 初代柳川藩主 立花宗茂公、岳父 戸次道雪公、宗茂室 誾千代姫の三神を祀ったことから、三柱神社と称します。
立花家は江戸時代を通じて柳川の地を治めていた大名家であり、中でも初代藩主の宗茂公は、あの豊臣秀吉をして「九州の一物」と言わしめた大名です。宗茂公は、天下分け目の関ヶ原の戦いで西軍についたことから領地を追われ、一度は柳川を去ることとなりましたが、その後に功績が認められ元いた領地に戻ることができました。元いた領地に戻ることができたのは、数々の大名のなかで宗茂公ただひとりだったことから、「復活の神様」として必勝・成就・復活の社といったご利益を持ち、多くの方に崇敬されています。

御祭神
 立花宗茂公(たちばなむねしげこう:初代柳川藩主)
 戸次道雪公(べつきどうせつ:銀千代姫の父)
 誾千代姫(ぎんちよひめ:宗繁公の妻

御神徳
 必勝・成就・復活の神様

2013.6.2
神橋と一の鳥居
一の鳥居結構でかいです。
長い参道の途中の二の鳥居
拝殿への参道
注連縄柱と拝殿

実は、拝殿前に見える注連縄柱のところには、見事な楼門が立っていましたが火災で焼けてしまったそうです。楼門には回廊もあり、境内を囲んでいたようです。拝殿は、火災後再建された仮拝殿です。

かつての楼門前の狛犬さん(左)
かつての楼門前の狛犬さん(右)
かろうじて焼け残ったという本殿
本殿前の狛犬さん(左)
本殿前の狛犬さん(右)
本殿横の鳥居
参道途中にある護国神社の鳥居
護国神社の拝殿
境内社 鳥居水天宮です。
三社合同、なぜ手足腰の守護神なのでしょうか?
境内社 道了神社
熱の神とはどういう神様なのでしょうか?
社殿の絵からも荘厳だったことが分かります。