174.小戸神社(おどじんじゃ)

宮崎県宮崎市鶴島3-93
宮崎神社めぐり3日め、10社めの参拝は小戸神社。生目神社から宮崎市内に戻って来ました。実は、ここは昨日下見をして場所を確認しておいたので迷わずに来る事ができました。神門と回廊があり、お屋敷のようなたたずまいの神社です。ご祭神は伊弉諾大神、普通、イザナギ、イザナミをペアで祀るのですが、ここは単神です。古事記に出てくるイザナギが禊を行った地とされており、昨日参拝した江田神社と由緒的には同じです。
創建/由緒(宮崎県神道青年会ホームページより抜粋)
当社は景行天皇の勅によって創建したものという。紀元七百四十年代であろう。古来より、今の大塚地区と下北方地区より下流域、すなわち旧市街地全域を小戸と称し、大淀川河口小戸町小戸の瀬は小戸神社鎮座の清浄の地として祀られ、今も夏祭の名越歌に 「港口には黄金の真砂 沖の小戸の瀬 宝浮く」と歌いつがれ、三千年来、尊び敬われて来た。いわゆる、祓詞の筑紫の日向の橘の小戸という地目をそのままに、太古伊弉諾尊が禊祓をされたゆかりの地であり、皇祖天照大神をはじめ諸神ご誕生の聖地の神社であると伝える。
此後、文明五年(1471)癸己三月一八日社殿造営、延徳二年(1490)庚戌八月社殿修復、天文一五年(1546)丙午四月一四日ついで永禄九年(1566)丙寅十二月二十六日社殿の改築がなされたが、永禄、天正の乱により、ご神領の三十町も断絶多くの神宝及び旧記等も滅亡した。
その後寬文二年(1662)九月十九日西海大地震の際高潮の災厄により下別府より大渡の上に奉還し(元、元宮町)、同年上野町に社地を築いて遷し奉った。その後正徳五年(1715)と享保二年(1717)に修理ご造営される。この年神祇管領卜部朝臣兼敬卿の筆になる「正一位小戸大明神」の八字を彫書した神額が奉納され今に現存する。
延宝三年(1675)橘三喜は『一ノ宮巡詣記』に「日向なる小戸の渡の浦こそは 青人草の初めなりけれ」
とうたっている。
さらに昭和七年一月橘通りの拡張に伴い、橘通り二丁目四四番地より、元鎮座地に移転を決し、昭和九年五月二十七日竣工、正遷座祭を執行し現在に至る。
主祭神
伊弉諾大神(いざなぎのおおかみ)
合祀祭神
天照皇大神
大己貴大神
素盞鳴大神
奇稲田姫大神
御神徳
人生儀礼・家内安全・除災招福・合格祈願・病気平癒・商売繁盛







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