144.東霧島神社(つまきりしまじんじゃ)

宮崎県都城市高崎町東霧島1560
宮崎神社めぐり初日、7社めは東霧島神社、霧島6社大権現の一社です。見るものが多い神社でした。ふもとの社務所で御朱印をお願いし、参拝に向かうと、まず神石、刀で切ったような平らな面を持った岩です。そこから、どこかスターウォーズのヨーダに似た狛犬の前を通り、神橋を渡ると、手前に大きな杉の木、その先に本殿に向かう石段の入り口の鳥居が見え、その脇に赤鬼さんがひょうたんを持って出迎えてくれます。反対側には御神木の大楠、龍王神水などがあります。鳥居をくぐると、本殿へ向かう何とも言えぬ見事な石段が聳え立つように向かってきます。鬼が一夜にして積み上げたという伝説があるそうで、「振り向かずの坂」とも言われ、振り向かずに願いを込めて登り切ると願いがかなうそうです。不規則に並んだ「振り向かずの坂」を登りきると神門があり、その先に本殿が鎮座しておりました。社殿は古そうで歴史を感じます。ここにも立派な雲龍柱がありました。拝殿横に、「一年の幸福を願って・・・」と龍神太鼓がありましたので、たたかせていただきました。神門の脇の御神木でもある杉の木の枝がおれ、龍の形にみえるとのことです。確かに見えなくはありません。今回の神社めぐりで、最も印象に残った神社の一つです。
創建/由緒(ホームページより抜粋)
東霧島神社は霧島盆地・諸県地方を代表する奉斎山岳信仰の祈りの宮として祀られ、第五代孝昭天皇の御世に創建されたと伝えられる。
その後、第六二代村上天皇の御世、応和三年(西暦九六三年)京都の人、天台宗の僧、性空上人が巡錫参篭し、噴火出土で消失し、埋没した神殿を再興されました。江戸時代になって東霧島大権現宮と唱えるようになりました。
御祭神は建国の祖とたたえられる伊弉諾尊(イザナギのミコト)を主祭神として地神五代の天照大御神より神武天皇に至る皇祖を合祀し、ご神宝十握の剣を御奉斎申し上げております。
御祭神は日本国土を産み給うた父で、国造りの神・国家の御守護はもちろん、広く農・工・商すべての開運・福寿・治病・航海・縁結び・安産など世の中の幸福を増進することを計られました人間生活の守護神であらせられます。
特に、霊界の主宰人としてのご霊威は最も高く、古来より式内名社として尊崇されているほか、中世よりは厄除開運の霊験あらたかなる権現様と親しく呼ばれているほど、根強い庶民信仰の代表的な神社であります。
御祭神
伊弊諾尊(いざなぎのみこと)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
神日本磐余彦尊(かむやまといはれひこのみこと)(神武天皇)
御神徳
国家御守護 開運 福寿 治病 航海 縁結び 安産


この先の右側に駐車場があり、車を置いてさらに先に進むと右手に社務所がありました。





神宝として社殿に収められているそうです。

参道の入り口にはユニークな狛犬さんがいらっしゃいました。


どこかスターウォーズのヨーダに似ていませんか?





ここに奉祀しているのではないでしょうか



この洞をくぐり、右に3回、左に3回めぐり、乳水・龍神水をいただくと
無事出産安全であり、病魔を払い、良き運が授かるといいます。



鬼磐階段(おにいわかいだん)の伝説
その昔、この地方を治めていた豪族で鬼といわれるほど恐れられ、善良なる土民に悪の限りを尽くしていたという。ところで、この善良なる土民の一人に、気品ある娘がおったという。悪しき豪族、その娘を嫁にせんがため、再三口説くもその願いかなわず、ついには田畑を荒らし、土民を困らせたという。土民はほとほと困り果て、ついには守り神である霧島の神様に願いをかけたのであります。霧島の、鬼どもを集めていはく。『この神殿に通ずる階段を一夜にして一千個の石を積み上げたならば、お前たちの願いをかなえ、もし、そのことがなし得られない時は、この地を去れ』と契約をなされたのであります。ある日のこと、夜も更け静まりかえったある時のこと。鬼どもは約束の石段作りに取りかかった。
集った鬼どもはあの怪力をもって!!あれよあれよ!!という間に石段を積み上げていったという。霧島の神ハタと困り、このままでは悪がはびこり、善はすたるの御心にましまして、東の空、しらじと明るくし、長鳴き鳥を集めて鳴かしめ、鬼どもは夜明けと思い、九百九十九個の石を積み上げたところでそうそうに退散したという。
この石階段を鬼磐階段と言い、振り向かずにこの階段を心を込め願い事をとなえながら登ると願いが叶うと言い、『振り向かずの坂』とも言います。なお、今でも霧島の神には鶏を殺し、御供えすることを禁じています。







打たせて頂きました。


